8.21.2011

【JASC日記】8月21日

21日はJASCの最終日で、
アメデリともジャパデリともお別れの日でした。

アメデリを午前5時くらいに見送るために、
かなりの人が前日から徹夜して起きていました。
JASCの最後の夜を、JASCメールを書いたり、
色紙を書いたり、部屋でしゃべったり、
それぞれ思い思いに過ごしました。

朝の5時くらいに、
アメデリを空港まで乗せていくバスが到着しました。
その日はあいにく雨が降っていたので、
アメデリを駐車場まで傘を差しながら送っていきました。
JASC中はほとんど雨が降ることはなかったのですが、
アメデリが日本に着いて新潟に来るまでも雨で、
帰るときも雨でした。

JASCerのみんなと一緒に過ごした一ヶ月は、
一日一日はぼけーっとする暇も
ないくらいに充実していました。
講義や議論などから学ぶことが多くあり、
夜には雑談の中からも刺激を受け、
一日中学んでばかりでした。

25日間、不安を感じたり悩んだりしながら、
支えあって乗り越えてきて、
振り返れば本当にあっという間でした。

これからは、アメデリは遠く離れたアメリカに、
ジャパデリも学生でなく社会人として働く人や、
海外へ行ってしまう人など、それぞれ世界各地、
日本各地での生活に戻っていきます。

それでもこの一ヶ月で得られた、
新しい自分と素晴らしい仲間とともに頑張っていきます!


吉本理沙

8.20.2011

【JASC日記】8月20日

こんにちは。
国際基督教大学4年の山下祐里奈と申します。
日米学生会議も残す所あとわずか。

ファイナルフォーラムも無事終わり、新実行委員も無事決まり、
参加者の表情もホッとした様子です。
本日は朝から、新実行委員はミーティングを、
その他の皆は日中学生会議との交流を、
それぞれ夕方まで行いました。

私は、新実行委員として、オリンピックセンターに留まり
来年度日米学生会議の理念や分科会について話し合いました。
来年度日米学生会議の根幹となる内容を決めるという事で、
様々に意見をぶつけあい、納得するまでの話し合いが続きました。
私個人的には、多くの課題が見つかったと同時に、
新実行委員としての実感と自覚がようやく芽生えた気がします。

無事、理念や分科会のテーマを決め終え、
18時からは他の参加者と合流し、
最後のリフレクションを行いました。
発言者一人ひとりが、日米学生会議を経て得た様々な感情・学び、
そしてそこから描く未来への展望を素直に語り、
多くの参加者が涙を流す様子が見受けられました。
目に見えぬ強い絆を、全ての参加者、実行委員に感じました。

感動のリフレクションを終えた後は、全員で下北沢へ移動し、
ファイナルディナーを楽しみました。
東京サイトスタッフによるフォトコンテスト実施や、
実行委員への感謝のビデオ上映により、終始非常に盛り上がりました。
ファイナルフォーラムを控えながらもこれだけの準備をした
東京サイトスタッフに、心から感動したと同時に、
第63回日米学生会議が無事に幕を下ろそうとしている事を実感し、
実行委員の素晴らしい仕事ぶりへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。

いよいよ明日はアメリカ側参加者とのお別れです。
ファイナルディナーからオリンピックセンターに戻った参加者は、
それぞれ思い思いに最後の一夜を過ごしました。


山下祐里奈

8.19.2011

【JASC日記】8月19日

明治大学文学部4年、
「変わりゆく社会とメディア」分科会所属の八木澤龍大です。

8月19日に行われたEC electionは、
僕にとって非常に思い出深いものとなりました。

僕は、今回のEC electionに不満がありました。
不満の内容は、
たくさんの人が来期ECに興味を持ちつつも、
立候補者の名前を見て、自分が立候補するか否かを
決めているように思えたことです。

だから、EC electionのときに、意を決して声を上げました。
「ECやりたいんならやろう。」
「他の立候補者の名前を見て自分の選択をしてはいけない。」と。

この意見は、僕をはじめとして、
たくさんの人が考えていたことのようで、
僕はそんなみんなの思いを代弁できてよかったと思っています。

ただ、みんなが早く考えなおせるよう、
できるだけ早い方がいいと思ったため、
かべちゃん(川邊くん)の質問の時に、
この思いをぶつけてしまいました。

このようにタイミングが悪かったことと、
口調が叱っているような調子だったため、
立候補した人や、立候補を考えていたけれど
色々な理由から立候補を取り止めた人に、
とても居心地の悪い思いをさせてしまいました。

自分の番のスピーチの際に、
もっと語りかけるように自分の思いを
伝えればよかったと反省しています。
正直に言うと、このような反省が直後に生まれたため、
ECに選ばれても素直に笑えませんでした。
ECに選ばれた僕に贈られたみんなの祝福の言葉は、
非常にうれしいと同時に、同じくらい痛いものでした。

でも、この発言のいいところを認めながらも、
改善点を強く指摘してくれるJASCer達の前で、
このような体験ができてよかったと思っています。
色々な助言をくれたみんな、本当にありがとう!
僕はまたひとつ、みんなから知恵をもらいました。

8月19日を一緒に過ごしたみんなに、
「ごめんなさい」と「ありがとう」を伝えたいです。

そしてこれからの1年、ECとして一生懸命頑張っていきます!


八木澤龍大

8.16.2011

【JASC日記】8月16日

こんにちは!「安全保障と日米」分科会所属の棚田壮太です。
新潟、京都/滋賀、沖縄と3サイトを終え、
いよいよ最終サイトである東京が始まりました。
昨日は1日移動に終止してしまいましたが、
いよいよ18日に控えるファイナルフォーラムに向け、
各分科会ラストスパートです。

東京サイト初日もJASCerは息つく暇もなく、朝からField Tripです。
今回の目的地は、アメリカ大使館です!
うだる様な暑さの中、そして突き刺す様な日差しの下
71名のJASCerは朝8時に参宮橋を出発し、無事に大使館に到着!
到着してみるとそこにはセキュリティチェックを待つ
30人を越える長蛇の列!
(ビザ申請を行った経験のある方なら分かって頂けるはず。。。)

無事にセキュリティも通過し、
現役外交官3名によるパネルディスカッションと質疑応答が行われました。
なんとパネリストの方の中には
JASC Alumniの方がいらっしゃり、
時折語られる参加当時のJASCのお話で、
会場はとても和やかな雰囲気に包まれていました。
JASCの持つ長い歴史と、
引き継がれる高い志を強く感じる経験となりました!

午後の時間は分科会活動に当てられました。
私の所属する『安全保障と日米』の分科会も
ファイナルフォーラムに向け、
いよいよプレゼンテーションの準備に入る段階となりました。

分科会発足当初は中々議論が前に進まない日々が続きましたが、
共に過ごした一ヶ月間と、本音でぶつかり合った経験が糧となり、
各人が自分の役割を見いだし
とても建設的な議論ができた1日となりました。。

ファイナルフォーラムにまで1日、JASC終了まで4日
一瞬たりとも無駄にしないぞ!!

それでは、おやすみなさい。


棚田壮太


8.15.2011

【JASC日記】8月15日

こんにちは。東海大学4年の舘林真一です。

時間が経つのは本当に早いことで、
今日はついに沖縄最終日となりました。
そして日米学生会議(JASC)は
第4サイトの東京へと会場を移します。


東京への移動があるので、今日のプログラムは1つのみ。
午前中に、ひめゆり学徒隊の
宮良ルリさんの経験談をお聞きしました。
初めて聞いたひめゆり学徒出身の方からの
生の経験談は非常に衝撃的で、
戦争時の出来事を鮮明に表現して頂き、心に強く残りました。

また、宮良さんのお話からは、
戦争の中生き残った人たちが次の世代に
その経験を伝えて行く。
そんな強い責任感の様なものを感じました。

今回の活動がNHKで放送されました!!どうぞご覧ください↓


講演後は昼食を取って、空港へ向かい東京へ。。。

夜7時頃に東京に到着。
今夜からは参宮橋にある
オリンピックセンターに宿泊です。
東京でのメインイベントはなんと言っても
"Final Forum"です!
続いて”Tokyo Forum”
Japan-China Student Conferenceとのコラボと様々です。


そして、今日は日米だけでなく
世界にとっても非常に大切な日、終戦記念日です。
やはり、毎年終戦記念日を迎えるたびに
当時の戦争のことを想像し、考えさせられます。
ですが、戦争を経験したことのない私にとっては、
何か遠い国の昔の話の様に感じていたことも正直な気持ちです。

しかし、今年の終戦記念日は私にとって今まで迎えた
終戦記念日とは違う特別な日の様な気がします。
それは、4月から始まった事前学習、
そしてJASCを通して、第二次世界大戦、
戦争そのものの脅威などついて学生同士で真剣に考え、
悩み、そして意見交換を交わしてきたからです。
JASCを通じて、問題への関心が
高まってきていることを実感した一日となりました。


舘林真一

8.14.2011

【JASC日記】8月14日

どうも、多鹿ちなみです。
ホームの京都を旅立って4日目、
気がつけばもう沖縄サイトも明日が最終日です。

今、荒崎海岸からのバスに揺られ、
沖縄の海に沈む夕陽を眺めながら、
隣で爆睡中のるみを隠し撮り中です。


今日は朝からRTミーティング後、平和祈念公園、
糸数アブチラガマ、ひめゆり平和祈念資料館、
そして荒崎海岸を訪れ、大戦中の沖縄を、
見て聞いて感じてきました。

個人的に、事前研修でも訪れた
広島との類似点を多く感じていました。

大戦の犠牲者を弔うための平和祈念公園や
ひめゆり平和祈念資料館は、
過去を振り返り忘れまいとするとともに、
これから来るべき平和な世界を
創り出そうとする希望が感じられました。
京都サイトでも国際平和ミュージアムを訪れましたが、
日本は「平和博物館」が世界一多いそうです。
是非、国際平和ミュージアムにも!とここで宣伝。


糸数アブチラガマは当時のままの形が残されており、
まずはその広さと暗さに驚きました。
ガマの中から二度と出て来ることができなかった
多くの方々に思いを馳せるとともに、
また、糸数アブチラガマを一般向けに
公開してくださった現地の方に感銘を受けました。

30年以上そのままにざれていたガマを
人が入れる状態にまで整備すること、
全国から訪れる見学者にためにガイドを行うこと、
積極的に糸数アブチラガマで起きたことを
伝承しようとすることは、現地の方々にとって
決して容易いことではないはずです。
現地の方々と直接言葉を交わし、
生の声を聞けることがフィールドトリップの醍醐味ですね!

それぞれ半日ないしは1日をかけて
回る価値のある所を炎天下の中急ピッチで訪れ、
みんな疲れているはずなのに、
移動中のバスの中では熱い議論が交わされていました。

同じメディアRTでハワイ出身のElaineとは、
日米の「博物館」の展示の仕方の違い、
歴史教育の違い、パールハーバーの認識の違いに
ついて語り合っていました。
フィールドトリップの話をしていても
「中立性」「bias」などの話に繋がってしまうのは、
メディアRTの性ということで。笑


多くのひめゆりが自らの命を絶ったとされる荒崎海岸は、
琉球石灰岩のグレーがクサトベラの緑に覆われ、
岩場に沈む夕陽は悲しいほど綺麗なものでした。
私たちとほぼ同い年の学生たちが、
当時沖縄で同じ景色を眺めながら
何を想い何を考えていたのか、
分かる術はありませんが、
想像しようとし続けることが
今の私たちに出来ることなのだと思います。

明日には沖縄を経ち、東京に向かいます。
私たち第63回日米学生会議を暖かく
受け入れてくださった沖縄の全ての人に、
最終フォーラムで全力を尽くすことを誓いながら、
最終サイトに臨みたいと思います。

待ってろ東京!


多鹿ちなみ


8.13.2011

【JASC日記】8月13日


今日はKakazu Outlookにて
普天間基地についてのお話を伺った後、
沖縄国際大学にて沖縄フォーラムを行いました。
沖縄フォーラムでは沖縄米軍基地について、
沖縄の教育のついて、憲法と沖縄についてのお話を伺いました。
 
特に印象的だったのは、沖縄の教育についての講義でした。
長い間琉球王国として日本とは独立して存在し、
戦後にはアメリカ軍の占領下にあった沖縄。
その沖縄がどのように教育を通して、
本島と結びついてきたのか。
自分が”mainland”(本島)の人間であることを、
いつもは意識さえしていないことに気付かされました。

その後、JASCの参加者と沖縄の高校生・大学生で
6.7人のグループを作り、
各グループごとにテーマを決め、
ディスカッションを行いました。
私のグループでは、沖縄の高校生・大学生、
そしてJASCのOBの方を交えて、
ソーシャルネットワーキングについて
そして沖縄の基地問題について意見を交わしました。

ディスカッションの後のレセプションでは、
沖縄の学生方と交流を行いました。
志を高く持った沢山の沖縄の人々と話すことができ、
とても有意義な時間を過ごしました。


塩原梓

8.12.2011

【JASC日記】8月12日

今日は早朝9時に辺野古を訪れ、
普天間基地移設に対して抗議活動の一環として
座り込みをしている人にお話しを聞きました。

辺野古の自然環境の重要性と基地移設反対の
意思の在り方を考えさせられる講義でした。
午後にキャンプ瑞慶覧を訪れました。
キャンプ・フォスターとも呼ばれ、沖縄戦で戦死した
ウィリアム・アドルバード・フォスター海兵隊一等兵の
名前に由来しています。
在日米軍の沖縄県における中枢機能を有している施設です。
ここでは日米安全保障条約の必要性、在日米軍と
沖縄県の関わりについて考えさせられる機会がありました。

その次に普天間基地のすぐ側にある小学校を訪れ、
基地が与える影響を主観的な視点から考察することができました。
最後に首里城を見学してこの日の主な活動は終了しました。
沖縄基地問題を3つの観点から考える機会を
得ることが出来た意味深い一日でした。

杉岡昌太

8.11.2011

【JASC日記】8月11日

プログラムを行うために
宿泊先の山田荘から名桜大学に移動しました。
まず、名桜大学でのプログラムを
企画してくださった方にご挨拶しました。
その後、分科会ごとの時間が設けられました。
お昼前に中地清氏のご講演が行われました。
米軍基地が沖縄に集中する理由として、地理的な理由、
経済的な理由、歴史的背景、文化的背景、
法律による規定があることを詳細に説明されました。

お昼ご飯を食べた後、
名護市の稲嶺進市長にご講演をして頂きました。
稲嶺氏は普天間から辺野古への基地の移設に
反対意見を表明して当選した市長であり、
選挙の際に政治とメディアの強い結びつきを体感している。
日本とアメリカの学生である私たち
一人一人に出来ることは、
日常生活に戻ってから基地が
身近に存在する沖縄の人々の思いを
伝えることだと語っておられました。

その後、再びRTのひとときを過ごしました。


杉山のどか

8.10.2011

【JASC日記】8月10日

こんにちは、JASC参加者の佐藤安里紗です。
早いもので、JASCが始まってから
もう半分以上が経過し、4つあるサイトのうち
新潟と京都サイトが終わってしまいました。

今日からは沖縄で会議が開催されます。

関西空港から那覇空港まで2時間、
空港からホテルまで2時間半と
移動ばかりの一日でしたが、
皆沖縄に着いて明日からの行事を
楽しみにしていました。

これから過ごす沖縄での一週間が
楽しみでしようがありません。

沖縄では米軍基地を訪れたり、
基地問題についての講演や
ディスカッションが多くあります。
日米の安全保障について考える機会が増えるので、
一つ一つの行事を大切にしながら
アメリカ・沖縄・日本の学生で議論を重ねて行きたいと思います。

8.09.2011

【JASC日記】8月9日

 本日は午前にKyoto mid-term report(中間報告会)を行い、
午後にはグループに分かれて京都観光をしました。

Kyoto mid-term report
各分科会が、JASC前半で何をやったか、
(議論の内容、フィールドトリップの内容など)
ファイナル・フォーラムまでに何をやるのか、の二つを
中心に発表しました。
各自が他の分科会の発表を聞いて感想を書き、
フィードバックしました。
本会議前に日本人参加者だけの合宿で
英語のプレゼンをしたことはあったのですが、
JASC全体の70人の前で英語でプレゼンをするのは
このmid-term reportが初めてだったので、緊張しました!

前日の夜遅くまで(当日の発表の直前まで?)
準備した成果が各自出せたと思います。
この中間報告会を通して得た反省や、
フィードバックシートで寄せられた意見をもとに、
JASC後半の議論が進んでいくことになります!

京都観光
京都の高校生に案内してもらい、
グループごとに観光に行きました。
私は三十三間堂に初めて行きました!
荘厳ですごい迫力でした。
アメリカ側参加者だけでなく多くの
日本人参加者にとっても初めて訪れる場所で、
日本の歴史や文化を学ぶ良い機会になったと思います。


櫻井千浪

【JASC日記】8月9日

今日は宮城県から参加の佐々木いくえが担当します。

8/9の日程は
午前:Mid Term Report(中間報告会)
同志社大学:各ディスカッショングループの中間報告

午後:京都観光、金閣寺、銀閣寺、
平安神宮、三十三間堂、八坂神社、清水寺、
まんがミュージアム等々

中間報告に向けて、各ディスカッショングループの
全員が本気で立ち向かいました。
猛暑、蓄積された疲労、目を閉じたい衝動、
自分に英語で発表することができるのか、
弱い自分と戦いながら、無理をしながら、
今までの自分の限界を乗り越えて
[やればできる。]を全員が学んだ一日でした。

たくさんの人に支えられて、
京都最終日を無事に迎えることができました。
明日は沖縄に旅立ちます。

佐々木いくえ

8.08.2011

【JASC日記】8月8日

皆さんこんにちは。今日はグローバル化RTから小林が担当します。

今日のプログラムは

午前:いくつかのグループに分かれて企業訪問
午後:RTタイム

でした。

午前は、300年以上の歴史を持つお香の老舗の
松栄堂」の皆様にお時間をとって頂き、
香の製造現場の見学や、畑社長からのレクチャーをして頂きました。

RTの中で、グローバル化の中の一つの大事なトピックとして、
「文化」についてもたくさん議論してきたのですが、
伝統と新しい時代のニーズの間でどう道筋をつけていくのか、
どう自分たちのアイデンティティを保っていくのかというところを、
プロの方から伺うことができたので、大変有意義な時間になりました。


午後は、僕らのRTでは京都のCool Japan Projectのオフィスに伺い、
お話を聞かせて頂きました。

CJPは日本文化を如何に継承し、
発信していくかという問題意識をもとに、
2010年9月に代表の石部さんが立ち上げられた団体です。
今回は、京都の西陣織の話を例に取り上げながら、
4つのkey questionを出して頂き、
それをもとにディスカッションするカタチでお話させて頂きました。

ディスカッションを通しての大事な気づきを一つ挙げると、
「守るべきものだから、それが義務だから、
日本文化を守る」のではなく、「良いところがあるから、
それが好きだから関わっていきたくなる」ようなカタチで、
日本文化を活かしていくという考え方が大切だという点は、
皆のコンセンサスだったと思います。

とはいえ、実際にその考え方を一つ一つの現場に
落とし込んでいくのは難しい作業であるのは間違いなく、
今後の大きな課題だということも改めて認識しました。


松栄堂の皆様も、 Cool Japan Projectの皆様も、
お忙しい中お時間をとって頂き、しかも英語でレクチャーして頂き、
本当にありがとうございました!
学んだことを、日々のディスカッションや
Final Forumの発表に活かしていきたいと思います!


小林歩

8.07.2011

一般公開フォーラムのお知らせ 【東京サイト】

さて、最後の公開フォーラムは東京サイトで行われます!

ファイナル・フォーラムでは、今夏約1か月にわたる
議論の集大成をこの場にて発表し、第63回会議を締めくくります。
加えて、今年度は東日本大震災に関する特別分科会の発表も行います。

以下が詳細となります。

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【第63回日米学生会議 ファイナル・フォーラム】

会場:青山学院大学 青山キャンパス 総研ビル 国際会議場
日時:8月18日(木)
開場:11:30
開始:12:00
終了:17:00
(入退場自由・参加費無料)

内容:
1. 開会の基調講演
田中均(元外務審議官・日本総研国際戦略研究所所長)

2. 第63回日米学生会議分科会発表(分科会詳細はこちら
・東日本大震災特別分科会
・安全保障と日米
・科学・技術の発展と倫理の再考
・グローバル化と世界システム
・文化と環境問題 ~解決への第一歩~
・歴史認識問題と国際関係
・差別から考える平等
・変わりゆく社会とメディア

3. 閉会の言葉
Eric Tilley大佐(在日米陸軍基地管理本部司令官)


※参加をご希望の方は是非こちらのフォームにご記入ください。
当日の飛び入り参加も歓迎ですが、
人数把握のため事前登録にご協力ください。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

多くの方々のご参加をお待ちしています。


【JASC日記】8月7日

こんにちは、広島人な小池あずさです。
京都滋賀は想像を絶するほど暑く、
この日もうだるような蒸し暑さの中、
私たちは滋賀県琵琶湖を訪れました。

琵琶湖では貸し切りのおしゃれなボートに乗り、
クルーズ気分で琵琶湖の美しい水と、
琵琶湖を囲む山々の風景、気持ちのいい風を楽しみました。

ボートでは、琵琶湖の汚染や生物多様性二関する問題、
また琵琶湖周辺の土地ではどのように水が尊敬され、
大切にされているのかという
文化的な側面についての講義を頂きました。

今回実際にボートで入ってはじめて、琵琶湖は、
湖の中に入らないとその美しさを
完全に知ることはできないと心から感じました。

湖の美しさはさることながら、琵琶湖の持つ意味・偉大さは、
それがどのように琵琶湖周辺に住む人々の生活を支え、
そして時にその生活の様を鏡のように反映する点にあると思います。

それを強く実感させたのは、
琵琶湖の中心にある小さな小さな『沖島』への訪問でした。
この沖島で人々は、古くからの生活様式を受け継ぎ、
漁業を中心に生活を立てています。
「千と千尋の神隠し」の世界を
思い起こさせるようなレトロな集落。
元気に動き回っている小さなおじいさんおばあさん。
深い森と湖の間に立ち並ぶ瓦屋根の家々。

故郷とは全く違うのに、
なぜかそこに立っているだけで
「懐かしさ」を感じる不思議な場所でした。

「古くからの生活様式」を受け継いでいる沖島ですが、
現在、その変化に直面しています。
驚いたのは、島に全く若者がいないこと、
また、この度体験させていただいた網漁で
捕れた魚の少なさと外来魚の多さ。
このような問題は琵琶湖周辺地域を中心とした
人々の生活様式の変化による水質汚染の問題と重なって、
深刻な問題であると思います。

自然とバランスし共存していた時代、
人々はもっと沢山魚をとり、
もっと沢山の魚が存在したはずなのに、
生活を便利にするはずのグローバル化や
工業化によって逆に生活が脅かされています。
このようなことは、どこでも掃いて捨てるほど言われていて、
わかったような気持ちになっていたけれど今回琵琶湖に来て、
初めて実感として心に衝撃を与えるものになりました。

琵琶湖は人々がどのような生活をし、
どのように自分たちの生の源である
自然を扱うかの『鏡』であると思います。
周辺一帯の山から川へ、そして琵琶湖に注ぎ込む過程で
そこに住む人間はこの水に深く関わり影響するため、
湖の水は人々の生活を反映するといえるからです。

そして、この水は人間を支配します。
水が汚ければ多くの問題を引き起こすし、
生物多様性の消失は人間に致命的なダメージを与えます。
昔の日本人はそのことをよく知っていたのに、
グローバリゼーションやテクノロジーの発展により
人間はこのことを忘れてしまって自分たちが
自然を支配している気になるけれど、
自分たちがどのように生きるかは自分たちに
結果として帰ってくる、そして現在帰ってきているのです。

だからこそ琵琶湖はその事実を証明する「鏡」となりうると考えました。

そしてこの鏡は、
地球全体の縮図なのだろうなと心の底から感じます。

沖島からの帰りのボートで、
とても素敵な由笛の演奏を聴かせていただきましたが、
古くからの自然を想い尊敬し作曲された日本の曲を聞き、
どれだけ昔の日本の人々が自然を尊敬し
自然とバランスをとる努力を重ねることによって
自分たちの生活を守ってきたかを実感し、
我々がこのような文化を再び取り戻し
世界に広める必要性を感じるとともに、
アンコールのときに演奏された「もののけ姫」のテーマ曲を
聴き映画のメッセージを考えながら、
私たちが自然に支配されていることを
忘れたときの結果が「もののけ姫」の中で
まざまざと描かれているのだと感じました。

こうして、8月7日はとても生産的で
学びの多い日となりました。
この日やった全てのことを実現することは
大変だったとは思います、サポートくださったみなさんに
心からお礼をしたいと思います。


小池あずさ

8.06.2011

【JASC日記】8月6日

Today was the memorial day for the bombing of Hiroshima.

The Hiroshima staff members did a great job preparing the Japadeles and the Amedeles in order to have preliminary knowledge about the topic for the day. During the bus ride0 from Niigata to Shiga, these delegates presented information on the bombings which everyone listened to. They also gave a presentation today  before the lecture by former JASC Alumni, Professor Katsuya Kodama. The lecture, was about a nuclear free world and was given at Ritsumeikan University Kinugasa Campus. After the lecture, we went to the Kyoto Museum of World Peace. It was composed of three different floors. The B1 floor emphasized life in Japan during World War II. It displayed facts, pictures and a model of a Japanese household. The 1st floor was a temporary exhibition about nuclear weapons and also the responsibility for the war. The 2nd floor had an art exhibition along with other peace messages. After eating a delicious bento box, we started special topics about what the Amedeles and the Japadeles felt about the whole day and the Hiroshima presentations. We had interesting opinions about nuclear weapons becoming deterrents and the differences of history education between the States and Japan. Later on, we worked in our RT times. Being in the Globalization RT, we created a framework of what we would be presenting for the Kyoto Forum. To conclude the day, each RT had their own stipend dinner in Kyoto City, and our RT had tasty Ramen with a green tea based dessert. Some of the delegates also used their free time to explore the local area. 


Mina Kitabayashi

8.05.2011

【JASC日記】8月5日

Jascが始まって、もう10日が経ちました!

今日は新潟から京都・滋賀サイトへの移動日です。
元々乗り物が苦手な僕は、
バスの臭いを嗅いだ瞬間から車酔いがスタート。
8時間にも渡る移動時間は、
筋トレで鍛えた僕の体を通り越え、
インナーマッスルさえも届かぬ体の芯から僕を壊しました。
バスが高速のパーキングエリアに止まるたびに、
何度ギブアップ宣言を出して
東京に戻ろうかと思ったことか!

あぁ、新潟は本当に良かったなぁ。
田園風景が素晴らしくて、食事も本当に美味しい。
特に食事は、魚があまり得意じゃない僕が、
魚屋さんへのホームステイで、
すっかり魚好きになりました。
そして、山古志村の見学、柏崎での原発見学の後に行った
ディスカッションでは、日米の壁を乗り越え、
自分の目で見て聞いたものを元に議論を出来ました。

楽しいだけでなく、勉強もしっかり出来る。
本当に充実した10日間でした。
第2サイトの京都もガンバロ~~!!


河村統治郎

8.03.2011

【JASC日記】8月3日

いつもブログをご覧下さりありがとうございます!
第63回日米学生会議参加者の小田康弘(東京大学医学部医学科三年)です。
今日もやること満載の一日でした!

朝食を食べた後はすぐに各分科会に分かれてディスカッションを行います。
私は「科学技術の発展と倫理の再考」分科会に所属していて、
近代の急速な科学技術の発展がもたらした
倫理的課題について話し合っています。
この日の朝一のディスカッションでは
原子力の利用という「科学技術の発展」をトピックに話しました。
前の日に柏崎刈羽原子力発電所を見学したときに感じたこと、
その前日に新潟県庁の方から伺った原発を抱える自治体としてのお話。
それらの経験も踏まえて、人類が原子力とどう付き合うべきかを話しましたが、
やはり一つの結論が出るには至らず、問題の難しさを痛感しました。

昼ごはんを食べたら「リフレクション」と呼ばれる振り返り会があります。
新潟での滞在がもうすぐ終わるに当たって、
いま感じてること、みんなに伝えたいことを自由に話します。
みんなで一つの輪になって一人一人の声に耳を傾けていると、
いい仲間に恵まれたなあ、と暖かい気持ちになりました^^

午後は2泊のホームステイに向けてホストファミリーさんの迎えを待ちます。
私は他3人のJASCerと一緒にあるファミリーに受け入れて頂きました!
アメリカ側参加者にとってはめずらしい温泉に連れて行っていただき、
上がった後はコーヒー牛乳で一服 笑(写真)
夜は素敵な夕ご飯をご馳走になって、色々なお話を聞かせて頂いて、
晩はぐっすり眠りました。
過密スケジュールの中でほっと一息やすらぎを感じたひと時でした。

新潟サイトも残りホームステイのみとなりました。
しっかりと新潟を感じて、次の旅路に備えたいと思います!


小田康弘


8.02.2011

【JASC日記】8月2日

こんにちは。
慶應義塾大学総合政策学部2年の上江洲仁子です。

今日は、柏崎刈羽原子力発電所に行ってきました。
柏崎刈羽原子力発電所についてもう少し詳しく説明すると、
新潟県柏崎市と、同県刈羽郡刈羽村に跨る
東京電力の原子力発電所です。
略称はKK(ケーケー)というそうです。
それから、現在1号機から7号機までの7つの原子炉を有してます。
7基の原子炉が発生する合計出力は
821万2千キロワットに達し、
7号機が営業運転を開始した1997年7月2日の時点で
それまでの最大だったカナダのブルース原子力発電所を
抜いて世界最大の原子力発電所になったそうです。

柏崎刈羽原子力発電所では、
1.施設の案内、2.東電職員によるレクチャー、
3.バスでの周辺見学、4.地域の会によるレクチャー、
5.スペシャルトピックというのがありました。

それぞれ、もう少し詳しく説明したいと思います。

1.施設の案内
まず、施設案内では、模型を見学しながら、
原子力構造について、原子力発電所のしくみについて学びました。

2.東電職員によるレクチャー
1回目のレクチャーでは東電の職員の方による、
原子力発電所の安全性について学びました。

3.バスでの周辺見学
バスでの見学では、津波から守るための堤防などを見学しました。

4.地域の会によるレクチャー
2回目のレクチャーでは、地域の会の会長である
新野良子さんからの講演を聞きました。
地域の会とは、柏崎刈羽地域に、現に存在する
原子力発電所と対峙して生活せざるを得ない中で、
それが事故無く稼動することを願い、地域の会では、
発電所そのものの賛否はひとまず置いて、
事業者等の必要にして充分な情報提供に基づき、
発電所に係る安全について状況を確認し、
地域住民の素朴な視線による監視活動を行うとともに、
必要な提言等を行うことを目的に活動している団体です。

その講演で、私達は情報は全て鵜呑みにせずに、
つねに疑問を持って接することの大切さを学びました。
 
5.スペシャルトピック
スペシャルトピックでは、各グループのリーダーが
自由に話題を決めて、ディスカッションを行いました。
私達のグループは、放射能で汚染され、
立ち入ることする危ない土地をどのように
利用すれば良いかについて話し合いました。
地域の住民の自由と政府の役割が対立して、
とても興味深い議論になりました。

今回の柏崎刈羽原子力発電所での
一連の研修を終えて感じたのは、
海と発電所の距離がこんなに近いのか
というところに驚かされました。
地震が多く、それに伴う津波が起こる可能性がある日本で、
あんなに低い堤防で本当に大丈夫なのかと
とても不安になりました。
事前学習や、レクチャーを通して、
原子力発電所の安全性を保つために
とても努力していることは理解できたのできたのですが、
それでも実際に見るとなお、不安が残りました。
原子力がとても効率的なことはわかるのですが、
それが最もな方法なのかどうか、他の手段はないのか、
検討する必要があるのではないかと感じました。

そして、柏崎刈羽原子力発電所の帰りに、
なんと長岡まつりに行きました。
長岡祭りの歴史を短く説明すると、
1840年からの歴史で、戦後は、
「長岡市戦災復興祭」の名で復活し、
戦災殉難者の霊を慰めることに
重きを置くことになったそうです。
以来、戦後の長岡復興の象徴として再出発した長岡花火は、
市勢の発展と歩調を合わせ、名実ともに日本一の歩みを続けています。

そのこの花火、並大抵の花火とは全然違うかったんですよ。
数、迫力、華やかさ、もう、感動しまくりで、
瞬きももったいないくらいでした。
もう今までの疲れが吹っ飛ぶくらい、心から、花火を楽しみました。
この花火を見れたことに、本当に感謝感謝です。

最高に充実した1日を過ごすことができました。


上江洲仁子

8.01.2011

【JASC日記】8月1日 

こんにちは!
第63回日米学生会議参加者の伊藤実梨です。

今日8月1日は分科会での議論がメインの一日となりました。
私の所属している「安全保障と日米」分科会では、
朝9時からホワイトボードやパソコンを
フル活用しながら安全保障に関する議論を進めました。
一枚目の写真はその時に撮ったものです。

出身から大学での専門まで、本当に多様な背景と
個性を持った分科会のメンバーと議論する時間は、
とても刺激的でかつ知識に限らず多くのことを学ぶ場であり、
JASCの醍醐味の一つであると言えると思います。

議論の中では白熱するあまりメンバーと衝突したり、
議論の方向が見えなくなったり、
と困難に直面することも多々ありますが、
同時にこの壁を超えることで成長することが
出来る貴重な機会であると認識しています。

まわりの仲間に支えられながら、
そして切磋琢磨しながら、
限られた時間の中で最大限学び成長できるよう、
これからも残された分科会の時間を
精一杯頑張っていきたいと思います。

そして今日の夜にはTalent Showがありました!
Talent Showとは、参加者が自分のTalentをいかし
皆に披露したいことを何でも自由に、
全員の前で披露する、というイベントです。
歌やダンス、コントなど、どれも本当に
それぞれのTalentや個性あふれるものばかりで、
とても楽しい時間を過ごすことが出来ました!

最後に全員で歌った”I want it that way”も
忘れられない思い出になると思います。

Talent Showでもらった元気を糧に、
本会議の残された時間の一秒一瞬を大切にしながら、
最後まで頑張っていきたいと思います。


伊藤実梨